応仁記のハウスルールによるソロプレイです。
このゲーム、太平記の流れを汲む作品ですが、プレイ感覚は全く違います。
太平記のように大兵力を徴集して大決戦という爽快感はありません。
勝利点は主に武将の討ち取りと御殿、屋敷エリアの支配によって獲得できますが
システムが概して防御側に有利で一度の戦闘で大打撃を与えることが難しいのと
除去した武将が討ち死にするのはランダムに6分の1の確率なので
いきおい敵を直接攻撃するよりエリア確保と調略を優先して
せこく勝利点を稼ぐという展開になりがちです。
もっともこのあたりは
応仁の乱のシミュレーションとしては妥当なデザインと言えるでしょう。
ゲームマップは上段が洛内(上京のみ)、下段が地方を表していて
洛内マップほぼ中央の青いスタックが東軍の本拠地の花の御所
その少し左の赤いスタックが西軍の本拠地の西陣です。
ゲームは敵武将の討ち取りや御殿、屋敷エリアの支配で得られる勝利点で争われます。

なぜいきなりハウスルールか。
このゲームは「太平記システム」ファミリーの一員ですが、いわゆる「強襲システム」のように行動した武将は裏返されて行動済みになるというシステムを採用しています。そして大雑把に言うと、双方とも行動できるユニットが無くなったらターンが終了するという流れになっています。
ところが両軍とも「回復」という特殊能力を持った武将が3人づつ存在するため、交互に回復能力を使うことによって無限に行動を続けることが可能なのです。もっとも行動できる武将や行動内容は、ダイスロールと行動表によって制約を受け、その中には武将が地方のボックスに帰国してしまい以後行動できなくなるというケースが含まれているため、次第に洛中のエリアから武将が姿を消し、最終的には行動表で指定された行動を行える武将がいなくなるため、双方がそのような状況になった時点でターンは終了します。しかし毎ターン終了時にほとんどの武将が帰国しているというのは、おそらくデザイナーが本来想定したものではなく、ディベロップにおけるミスと思われます。
回復ともう一つ強力過ぎる特殊能力が調略で、調略する側は洛中、地方にかかわらず、どこにいる被官でも調略の対象とすることができます。失敗した場合のペナルティは無いので、回復と組み合わせることによって狙った武将をたちまち調略できてしまいます。いったん調略されてしまった武将を調略し返すことはできないルールなので、戦闘力の高い被官はどんどん開始時と反対の陣営に取り込まれていきます。確かに応仁の乱において被官の寝返りはけっこうあったようですが、最初の一、二年で根こそぎ寝返っているというのはかなり行き過ぎでしょう。
具体的には、洛中に4つある御殿エリアを相手より多く支配すれば2点を得られるというのがゲームの一つのカギとなるのですが、ゲーム開始時に東軍が花之御所と小川屋形を押さえているのに対し西軍は西陣だけなので、東軍の勢力圏内にある内裏を確保する必要があります。そこで最強の戦闘力5を誇る朝倉孝景の活躍が期待されるところですが、残念ながら朝倉孝景も斉藤妙椿も早々に東軍に調略されてしまいます。もっとも西軍も多賀高忠らを寝返らせればある程度は埋め合わせは出来ますが、はっきり言って調略の能力は義政と細川勝元を擁する東軍の方が上です。応仁の乱初期は東軍の戦略的優勢を朝倉孝景や畠山義就の戦術能力で凌いでいたというイメージがあり、本作もそういった状況が再現できそうな武将のレーティングになっているのですが、調略のルールがバランスをブチこわしています。確かに朝倉孝景は史実でも東軍に寝返っており、それが乱全体の流れの中でも一つのターニングポイントに(さらには戦国時代の幕開けに)なっているのですが、それは1471年(ゲームでは第5ターン)のことです。やはり寝返るのは東軍に一泡吹かせてからにしてもらいたいところ。
で、まず回復の問題を解消できないかと、行動後に武将を行動済にする替わりに足軽を1ユニット活動させる(裏返しにする)というハウスルールで試しにプレイしてみました。実際には整合性を担保するためにルールのあちこちを修正する必要があったので詳細は省きますが、洛中の足軽ユニットの総数と同じ回数の行動で1ターンが終了するので、ターンの長さはバランスの良いものになりました。回復能力は戦闘で失った武将のステップロスを回復するだけのものになり、まずまず妥当な位置づけでしょう。ただ誤算だったのは、調略能力がますます強力になってしまったことです。各プレイヤーが1ターンに行動できる回数はかなり制限されるようになったのですが、同じ武将を無制限に何度でも行動させられるため、戦闘を行わずに調略を繰り返す方が有利と思われる局面が多くなってしまったのです。異なるアプローチを考える必要があります。